今回は千駄木腰塚で働いているレジェンド社員3名を紹介します。栗原、眞家は50年以上、六本木は20年弱にわたって腰塚で働き続けた肉の職人たちです。
栗原は精肉加工・製造部門で牛肉の加工全般に精通し、現在は主に飲食店に卸すきめ細やかな仕事を担当しています。
眞家は今では腰塚を語るうえで欠かせないコンビーフの製造に関わっておりコンビーフが製品になるまでの最終仕上げの仕事を担当しています。コンビーフ以外の牛肉の加工にも長年欠かせない存在でした。
六本木は千駄木腰塚本店の店長として全体的な管理を行っています。イベントともなれば一度に、数トンのお肉の加工を行います。業務用の冷蔵庫が一杯になるほどの肉を部位ごとに、担当に振分け、鮮度を保ちながら加工し製品にしてきます。長年の経験がなければ、なせない仕事です。
栗原は、社内では「長老」と親しみを込めて呼ばれています。彼らがいたからこそ美味しいお肉を食卓に届けることができたといっても過言ではありません。
彼らに、若かりし頃どのように技術を習得したのか聞いてみました。彼らは口を揃えて「肉の加工技術は先輩の所作を観察し、眼で盗んで自分の糧にする時代だった」と言っていました。今も昔もお肉の加工は体力を使う大変な仕事です。体力的にも厳しい状況の中で先輩の動きを観察しながら、牛の構造を覚え、部位の切り分け方を覚え、肉の個体差を計算に入れながら、必死に目の前のお肉を切ったり、削いだり、さまざまな加工を繰り返し、繰り返し行うことで技術を身に着けてきたようです。
具体的な加工技術についても聞いてみました。例えば3センチにカットされたお肉をたくさん用意するというオーダーがあったとします。カットしたお肉を重ねて保存しておくと、その重みで下の方のお肉が少しだけ薄くなってしまいます。その重みのことも計算に入れながら、指先の感覚を頼りに数ミリ単位での調整をしながらカットするんです。指先でお肉と対話しているような、そんな感覚なのかもしれません。
栗原、眞家が千駄木腰塚に入社したのは牛肉を食べる風習は今ほど一般的ではなかった時代です。
そんな時代から、どの部位をどのようにカットして、何の料理にすれば、一番美味しく食べられるかを追求しながら、美味しいお肉をご家庭の食卓に当たり前のように並ぶことを願い、ひたむきに肉と向き合いながら走り続けてくれました。
千駄木腰塚ではお客様との会話や繋がりをとても大切にしていますが、それは社員同士でも変わりません。
創業者、会長、そしてレジェンドたち、先人たちが植え付けてくれた熱意や技術は千駄木腰塚にとって財産です。お客様と直に接する機会は多くはありませんが、腰塚の縁の下の力持ち的存在であることは間違いありません。彼らの熱意と技術があっての腰塚とも言えるでしょう。
「私たちが伝えていきたいのは技術ではなく「心」です。この千駄木腰塚の心の部分は、若い世代にも継承していきたいですね。」レジェンドはこのように語ってくれました。真心が伝わるお店づくり、商品づくりをこれからも続けていきます。
彼らにいろいろなことを振り返ってもらうと、たくさんの困難に直面したことがわかりました。BSE問題、東日本大震災など、様々な苦難がありました。
BSE問題の時は牛肉全体が、東日本大震災の時には福島牛をはじめとする東北の牛肉が、全国的に買い控えになりました。そんな状況でも「腰塚のお肉だから大丈夫」「腰塚だから信用してる」と信頼を寄せてくださるお客様がいかに多かったことか。そんな言葉に励まされ、社員もそれにこたえようと努力してきました。
「お肉を買いに来てくれるお客様。そのお客様のために、ひたむきに努力する社員。皆様の想いがこの千駄木腰塚を支えていると、年を重ねるたびに感じます。」このように話す彼らの想いを私たちも忘れないようにしたいと思います。
「なかよく、たのしく、おいしい食卓」を実現するのがわたしたちの願い。ぜひ店舗に足を運んでいただき、スタッフにお勧めのお肉やレシピを聞いてみてください。間違いなしのレシピが聞き出せるはずです。オンラインショップでも様々なお肉のお買い物ができます、こちらもぜひご利用ください。お買い物の際に今回紹介した栗原、真家、六本木の想いも感じ取ってもらえれば嬉しいです。